Animal Communicater
はじめまして。猫専門アニマルコミュニケーター(AC)のKeikoです。 一緒に暮らす愛猫ちゃんが何を感じ、何を考えているか知りたいと思いませんか?愛猫の思いを感じることで、より絆が深まって頂ければこれほどうれしいことはありません。私が貴方にかわって、愛猫ちゃんに想いをお伝えしたいと思います。
私がアニマルコミュニケーターになろうとしたきっかけをお話しします。 亡き愛猫てつの言葉でした。アニマルコミュニケーターとして活動してからわかったことですが、その言葉はどこから聞こえてきて、どうしたらわかるのかを知りたくて、アニマルコミュニケーターにたどりついたのです。 以前は、オーストラリアのゴールドコーストと日本を行き来しながらアニマルコミュニケーターの仕事をしていました。 今は、日本を起点にアニマルコミュニケーターをしながら、猫専門のキャットシッターもしており猫ちゃん達と毎日触れ合いながら日々をすごしています。
そして、2年前から保護した6才になったノルウェージャンフォレストキャット男の子の里親にもなり一緒に暮らしてます。
これから紹介するのは、私の愛猫4匹です。私に心の声を残してくれ、コミュ二ケーターになるキッカケとなったお話しです。私の大事な家族です。
てつ
愛猫 てつの死
2015年8月14日 3:06am
とてもつらい日なのに、その日はお盆の真っただ中、キャットシッターのお仕事がピークでした。 朝から仕事で泣く泣く仕事に出ました。 お世話する猫ちゃん宅に行く車の中で、悲しくて涙がたまらなくあふれ、運転にならないくらいだった私でした。 信号待ちでとまっていた時のこと、ふっ!っと『ありがとう。ありがとう。』って声がしました。 『え?誰なの?』ってキョロキョロしましたが誰もいませんでした。 その後も、『いままでありがとう。ありがとう。』って声が聞こえてきました。 私はその声が誰なのかどうしてもしりたくなり、アニマルコミュニケーションにたどりついたのです。今思えばそれが、てつの最後の心の声だったと思います。
息子とてつ
との
そして、愛猫とのも私に心の声を残してくれたと思っています。
愛猫 とのの死
2002年3月31日
愛猫とのの死によって、私は初めて愛する人(猫)の死と対面し、嘆きうろたえ、仕事もできず毎日家にひきこもり、食欲もなく、毎日泣いていました。 ペットロスになっていたんですね。 ある日、とのの死から49日がたつ頃、夢をみました。 私1人草原に立っていました。 風がここちよく風にうたれていた時、天から丸い光の玉がゆらゆら私の頭に下りてきたのです。よーくみるとまんまるいとのが ゆらゆら私の所に下りてきました。 とっさに手を差し伸べたのですが、その光の玉が私の心臓に入っていっったのです。 『はっ!』っと気づいて飛び起きたのが忘れられません。その映像が心に残り、きっと愛するとのが私の事を心配して 『ぼくは、あなたの心の中にいつまでもいるよ。悲しまないで。』って言ってくれたんだと思います。その見た映像を水彩画の先生に描いていただき、毎日見ては、その時を思い出し初心に戻っています。
作品名「きずな」
もも
愛猫 ももの死
2014年2月16日 私の腕の中で静かに息をひきとりました。私の顔を見て、か細い声で『ニャー』と鳴いて、そのまま息をひきとったももでした。
『ありがとう!』と私に言ってくれたんだと私は思っています。
息子ともも
シュワ
最後に、私には愛猫シュワもいました。2004年12月10日に亡くなりましたが、この子は、心臓が悪く、沢山の薬も嫌がらず毎日飲んでくれました。 頑張ってくれたことに敬意を捧げます。シュワは、私にはメッセージは残してくれませんでしたが、私に『生きるってこういうことだよ!』って教えてくれた子です。短い間でしたが、私はこの子と出会えた事を誇りに思います。
貴方の愛猫ちゃんは、貴方に逢いにこの世に生まれてきています。 貴方に会うことに意味があるのです。偶然ではないのですよ。 今だからこそ、アニマルコミュニケーターの私だからわかったことなのです。